プリキュアを読む

感想やまとめとは違う分析的なもの

【ハグプリ】応援されるではなく応援するヒーロー


野乃はな、キュアエール、ハグプリのピンク、つまり主人公、ヒーロー。主人公の彼女はなぜエール(応援)なのか。

主人公は応援する人

応援とは、応援される主体に対して行うものであり、応援者は、通常主役たり得ない立場である。もちろん、「チア★ダン」という映画があるように、応援行為そのものが独立している場合は、それメインの話ということはあるが、これはプリキュアであるし、はながチア部で活動しているわけでもない。確かに変身直後はチアらしきポーズとってるけど、ポンポンを持った戦闘ポーズとは?チアによる戦闘とは?と、これもなかなかに哲学的である。

口先だけの応援の否定

そして、はなのいわゆる声援によるエールは、プリキュアになれなかったほまれに、やめてと4話目にして言われてしまう始末。エールと名のつく主人公が、物語の立ち上がりにおいて、応援やめてと言われてしまうというのは、1クールものならともかく、1年間続くアニメにおいては、さすがにやりすぎと思える。キュアエールが、声援をやめろと言われてしまうのは、raison d'êtreがなくなってしまう…と捉えられる可能性がある。
うがった目を持つ大人なら、ハグプリいきなりやるなぁとなるから、そういう逆張りも良いけれど、これ、メインターゲットの年齢層が低いプリキュアだからね。ちょっとやりすぎ感漂うよ。そもそもこれ、プリキュア映画でライト配って「みんなで応援しよう!」の否定にならないのか?

応援するプリキュアとは

では、応援するプリキュアとは何なのだろうか。
それは、第11話でオシマイダー化したチャラリートを救った際の行動を見ると良い。チャラリートは、自己肯定感がなくなり、潰れそうになっていた。そこをキュアエールは抱きしめ、チャラリートに自分も、同じようなものだ、チャラリートだけが劣っているわけではないと同調することで、チャラリートに対し、他者による肯定を与え、自己肯定するきっかけを与えた(その後の活躍はハグプリで描かれている通り)。しかし、ここにおいて、はなはチャラリート立ち直りのきっかけを与えたに過ぎず、実際の立ち直りはチャラリート自身の自己肯定によるものである。この"きっかけを与えること"こそがつまり、キュアエールによる応援なのだ。

心に響く応援の獲得

キュアエールは、第4話で声かけレベルの応援の限界を悟り、11話にして心の中に入ることで、応援する方法を得たのだ。はなは、行動はおちゃらけているようでいて、自分で考えて行動し、自らの行動の結果に悩んだりもする。はなを守るために、はぐたんが倒れた時も一人ベッドで落ち込んでいたし、前の学校でのいじめられた子を守ったら自分が除け者にされた際も同じくベッドで悩んでいた。
普通の人には突拍子もないように見える行動を取るえみるに対しても、彼女の本質を見極めるかのような見守りをしている描写がある。また、プール回でも、クライアス社の怖さを一人で受け止めようとしていた。
これらの行動は、えみるやルールーとの掛け合いで「めちょっく」と言っているはなからは想像できない人間としての厚みがある。

はなの人としての厚み

単純な愛情、友情、正義ではない次元ではなは思考し行動していることが意図的に描かれている点で、プリキュア5ののぞみやスマイルプリキュア!のみゆきと異なる。
まだまだ隠された過去はありそうだが、はなはいじめのきっかけになる事件が起きるまでは、思春期になかったのではないだろうか。未だ単純な善悪で行動できた小学生年代の感覚のままであったと。しかし既に周りの子は思春期を迎えていて、その年代特有の仲間感、アウトローに憧れる感じを、はなは未だ理解できなかったため単純な正義に走り、仲間外れにされたのではと。
2学年年の離れた妹に身長がそろそろはなを越えそうということがわざわざ妹ことりのプロフィールに書いてあることから、はなは思春期に入るのが遅いオクテであると推測できる。つまり思春期特有の感覚がまだ育ってなくて、子供らしい真っ直ぐな気持ちで友達のいじめに立ち向かってしまったのだろう。このいじめ事件で、はななりに子供と大人の行動様式が違うことは、感覚的にせよ理解できたので、転校に際し、"いけてるおねえさん"を目指すことにしたのだと考えられる。