ハグプリにおいて逃げることは、恥でさえない。それどころか、積極的戦略の1つに位置付けられている(としか思えない)。"自分のためになるなら逃げろ"という考えは人生の質を上げるための素晴らしいメッセージである。何故このようなことになるのだろうか。
ハグプリにおける逃げの例
話中の逃げた描写について挙げる。
①ほまれの登場時、スケートに向き合うことから逃げていた
②はながいじめから逃げて転校した
があるし、そもそも、
③はぐたんとハリーがクライアスから逃げてきた
どれも、物語が始まる前、つまり1話以前に起きていた逃げである。結論から言うと、①は、ほまれは自分と向き合うことから逃げていただけなので、これは既に自分で克服することが可能で、現に克服した。しかし②③は相手がいることである。しかも自分に対し害悪を及ぼしてくる相手である。こうみると、主人公側の主要メンバーで逃げている者が多い。
ちなみに、チャラリートもパップルも、クライアス社に苦しめられていたにも関わらず、自らは逃げず、最後はオシマイダー化してプリキュアに救済されている。救済方法は、前向きにクライアス社を辞める、つまり、クライアス社から逃げるという方法で。
あ、主人公側の主要メンバーで逃げている者が多いというより、主人公(はな)と物語のキーパーソン(はぐたん)という主要どころか中心人物2人がともに悪意のある強者から逃げているのか。
力が正義ではないこと
プリキュアはこれまで、敵幹部であっても、癒し、自分側に引き寄せることをしてきた。ハグプリにおいても、チャラリート、パップル、ダイガンと、次々と攻略しこちら側に引き寄せてきた。しかし、②については、第31話で、はなは、不本意ながらもいじめる側に立たなければいけない側に立った者とは、対話し再度友達関係を結ぼうとするが、そうでなくて、最初からいじめる側にいた人間に対しては、絡んで来なければ自分から話しかけませず、絡まれても軽くあしらっており、いじめがなかったことにする気がないことがわかる。結局、いじめる側から謝ることもなかったので、第31話のエンディングを迎えても、はなは彼女らには何も許しを与えていない。
これは少しシビアな現実を残した話である。メインターゲット層の年齢から考えて、みんななかよし路線でも終われたとは思うが、そうしなかった。これは正しいし、良いことだと思う。
クライアス社にしても、はなたちが生きる現代の価値観で考えれば、時間を止めてしまうということは横暴でしかない。クライアス社的思想があるのかもしれないが、少なくとも提示されていないので、単に時間を止めたらそら以上不幸にならないという謎理論で理論的に納得させるのは無理がある。そもそも現代の時間止めたら、そこから未来は無くなるので、お前らどこから来たんだよということになるしね。
悪意の権力者からは逃げろと教えること
ハグプリの最重要人物2人が、悪意があり力もある者たちから逃げているという設定にメッセージを見出せる。
はなには、他者を救うためには、危険も省みずオシマイダーといった巨大な敵に立ち向かう勇気がある。しかし、いじめという、自らに向けられた悪意からは逃げるしかなかった。これは、プリキュアになった後も、エリちゃんに最初にあった際に、エリちゃんを追うことをしなかったことからも、あまり変わっていなかった。その後、自ら克服し、かつさあやたちに勇気をもらって、エリちゃんと正対できるところまで持っていけたのがはなの力だが、それでも他の最初からいじめる側の人間に対しては、積極的アプローチはしない。このあたり、中学二年生のはなの思想が、よく描けていると思う。