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【ハグプリ】第44話「夢と決断の旅へ!さあやの大冒険!」


"ほぼ"タイトル通りのストーリー。ただし演じている劇中劇は大冒険風ではあるが、さあや個人としての話は、大冒険というほどではなかった。ただし、さあやの親離れが進んでいたため、逆にさあやママが子離れに戸惑ったというのがちょっと意外な展開だった。

 

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【図1】決断後のさあやの姿。これみて何の職業か分かったら…(※)

これまでのさあや

さあやは基本的に自分が自分がということはしない。ただし、自分の感性に合えば積極的言動を行なっていた。これは時として、ホームセンターで電気ドリルに尋常ならざる興味を示したり(これは"男の子のおもちゃ"とされるモデルガンを暗示していると思われるが)、えみるの"キュアエミール"のファッションを褒める等、一般人の感性からズレた感覚となって現れることもある。それらも含めて他人を押しのけて王道を突き進むというより、自分の考える道を自分で開いて進んでいきたいという考えであるように思える。そう考えると、自分がやりたい役を選んで演じるのではなく、役を得るためにとにかくオーディションをたくさん受けるというのは、少し違うと思ったのではないだろうか。もちろん、これまで女優としてやってきたのだから、演じたいという欲求はあるのだろうが、母親と違って自分には役を選ぶところまで女優として成功はしていないので、その辺りで、自分のやりたいことは何かを考えたのであろう。これまで何度か、やりたいことというキーワードで引っかかった描写があったので、さあやとしては急に思い立った話ではない方がわかる。

さあやママの葛藤

さあやママは、背中を見せるという方法でさあやを導いているつもりになっていたが、それは裏を返せばコミュニケーション不足ということだった。さあやは、はな、ほまれ、えみる、ルールーたちと過ごすことで、色々なことを感じ取っていたが、背中を見せる愛を貫いたさあやママは、さあやとの対話をすることを怠ったため、娘の変化に気づかず、そのために、さあやママは猛オシマイダー化してしまった。これがハグプリの凄いところで、これは子育ての失敗を意味しているのだ。仕事で成功している背中を見せることで、娘の人生をうまく導いていると思っていたら、娘は全く違う道を進もうとしていたというのは、親としてショックなはずである。しかしまた、そのこと自体が娘が成長していることの証、親としての教育が間違っていなかったことの証になるので、それは親として喜ぶべきことでもある。このような親の葛藤を描いたのがハグプリなのである。

一条蘭世の握手

一条蘭世の握手に対するスタンスが非常に良い。握手はライバルとするものという価値観は目から鱗である。しかも、最初、まだ気持ちが吹っ切れていないさあやに対しては、蘭世は握手を拒否しながら、後にさあやが医者の道に進む強い気持ちを見せると、"同じ夢"を追いかけるライバルではなくなったが、同じ"夢を追いかける"ライバルになったと認めて自ら握手の手を出すという芸の細かさ。これは"強敵"と書いて"とも"と読むと似たニュアンスを感じる。そして蘭世のプロ意識を感じる。さらに、これはさあや本人が認めるように、ここまで女優に徹することはさあやにはできないであろう。劇中も劇中劇でもピエロ的な役回りが多かった蘭世だが、女優としてのプロ意識は終始一貫さあやの上をいっていたし、蘭世のいうライバルとしてさあやに接してきたことも、コメディエンヌ的にではあるが、ちゃんと描かれていた。この意味で、蘭世はさあやママよりも、さあやを1人の女優として接してきたと言える。さあやママは、親としての感情があるために葛藤するのである。この回は、さあやメインラスト回であると同時に、蘭世にスポットライトが当たるラスト回なのであろう。一条蘭世は、女優として有終の美を飾った。

"大冒険"の意味するもの

タイトルについて。ハグプリのタイトルは、大抵肩透かしというか、本題と離れたところに持ってくるのだが、今回もやってくれている。これまでの肩透かしと比べると、ほぼタイトル通りの内容ではあった。「夢と決断の旅へ!」というのは、劇中劇の内容と、さあやが自らの進む道を母親やライバルと腹を割って話すことで決断したことを指すと理解できる。しかし、よく分からないのは「さあやの大冒険!」の方である。さあやは劇中劇の中でも別に冒険はしていない。強いて言えば、冒険が終わった後と考えられるシーンは撮影していた。しかしハラハラドキドキするような冒険はなかった。また、母親や蘭世とのやりとりも、客観的には冒険と言えるようなものではなかった。では、なぜタイトルに"大冒険"と入れたのか。これは、さあやが、母親と同じ道を進まねばならないと無意識に考えており、その束縛から逃れることを指していたのではないかと考えられる。これまで、ほまれやアンリの夢や進む道に対する考えに触れる都度、何かを考えているようなシーンが描かれていた。これらがさあやにとって"冒険"であったと言えるのであろう。そして、これらのシーンを含めて第44話であると考えれば、"さあやの大冒険"というのも理解できるし、劇中劇が冒険が終わった後から始まることも理解できる。

(※)東映アニメーション公式ページより引用

http://www.toei-anim.co.jp/tv/precure/episode/summary/44/