「けものフレンズ2」において、ちょっと悲しいことに気づいてしまいました。キュルルが、自分はフレンズではなくヒトだと何回か言っていたり、スケッチブックを元に自分のいたおうちを探すとも何回か言っていたが、これ、実はフラグであって、ブーメラン的に自分に突き刺さってくるのではないかと思うのです。
自分探し
かばんちゃんからは生きようとする意欲が感じられたのですが、キュルルにはレールに乗せられて生かされているようなものを感じます。
かばんちゃんの自分探し
"いきなり生を与えられ、生きていかなくてはならなくなった。さあ、どうするか"が、かばんちゃん。かばんちゃんにはアイデンティティとなるものが全くなくて、そもそも自分が何のフレンズであるかを知るところから始めています。ゼロからの自分探しがかばんちゃんのテーマです。それはそうです、覚醒する前は一本の毛髪だったのですから。自分がヒトであることが分かったら、次はヒトの縄張りを目指して進んでいきます。そこには、自分以外のヒトに会うことも目的になります。1期第12話でかばんちゃんはヒトについて、「どんな動物なのか知りたい」と言っており、かばんちゃんはあくまでヒトと他の動物を区別してはいません。
キュルルの自分探し
一方、キュルルは、いきなり生を与えられたのではなくて、過去に生きていた記録はあるが、何故か長期間眠っていて、何かの拍子で、再度目を覚ました。"いきなり覚醒させられ、生きていかなくてはならなくなった。さあ、どうするか"なのだ。そしてその覚醒時、家族は誰も周りにいなかった。スケッチブックを持っているが、それがキュルルに過去があることの手がかりであり、このことから、以前生きていた家に帰ることが目的になっています。スケッチブックがなければかばんちゃんと同じように、ごく初歩的な自分探しから始めることとなったと思われます。
自分探しの具体性の違い
かばんちゃんとキュルルでは、過去の手がかりおよび旅の目的の具体性が異なります。かばんちゃんは、自分についての何の手がかりもない中でまず自分が何のフレンズであるかを知るために図書館への旅に出て、その後、ヒトの縄張りを目指します。一方のキュルルは、過去の自分の足跡と思われるスケッチブックが手元にあります。そして、第1話で既に「ぼくはけものじゃないよ…多分」と、自分はヒトであると認識して旅をしています。旅はスケッチブックに描かれた場所を再訪して、最終的におうちに帰ることです。
かばんちゃんは自分が何のフレンズであるかを探すのに対し、キュルルは自分の足跡をたどり自分が何であったかを探しています。また、かばんちゃんは漠然とヒトの縄張りを探すのに対し、キュルルは自宅を探しています。つまり、自分探しをして、ヒトが住んでいる場所を目指すという同じような目的の旅をしながら、キュルルの方が、かばんちゃんより個別具体的で深刻な事項を探していることが分かります。この具体性は、旅の目的だけでなく、2期の方が1期より全般的に高く、その点が色々物議を醸しているように思えます。その最たるものが、1期で島の長と自称していた博士と助手が、2期では、かばんちゃんの助手に成り下がったことです。かばんちゃんと博士の上下関係は曖昧なままで良いのに、かばんちゃんは、博士を助手にし、さらには夕食の支度の指示までしてしまいます。こういう具体的上下関係の提示の必要性が現時点ではわかりません。
1期と2期が別世界の話ならよかった
1期と2期で全く別な話としていれば、「それはそれでありだよね」となったような気がします。しかし、前任監督の発明したかばんちゃんに引きずられてしまったために、キュルルが、かばんちゃん2世のような位置づけになってしまいました。しかも、1期同様サーバルちゃんと組ませたために、差異を出すハードルを高くしてしまいました。加えて前任監督の発明したかばんちゃんを、成長した姿で2期に登場させてしまいました。こうなるとよほどのストーリーテラーでないと、主人公をイキイキと動かせないと思います。制約多すぎですから。これから話を畳んでいくのだと思いますが、キュルルとサーバル、カラカルの3人が自分たちの意志で動いていくことを願っています。その際、かばんちゃんが1期のコンセプトを維持した形で再度登場してエンディングを迎えて欲しいと願っています。
最大の制約
最大の制約は、キュルルが、かばんちゃんと同じ空間にいるということ。かばんちゃんは、ゴコクエリアからジャパリパークへ戻って来たということなのか、それとも2期の舞台がゴコクエリアなのかの択一になること。つまり、「1期とはまた別の世界でしたー」が使えないということ。2期ではジャパリパークとかなんとかちほーとか出てこなかったので、ゴコクエリアの話という方がありそうです。しかしそうなるとヒトが出てこないのがおかしいような気がします。ゴコクエリアもパークの一部なのか?それとも、かばんちゃんがゴコクエリアへ渡った時から、ゴコクエリアの環境が変わったとか。
キュルルの帰る家
冒頭に悲しいことに気づいたと書きました。それについて書きます。キュルルは、ミライさんの髪の毛一本から生まれたかばんちゃんと違い、人の子としての暮らしをしていて何故か眠りについていた設定のようです。しかしそうなると、家族はどうした?となります。1話を見る限り少なくとも眠っている間に家族が付き添っている気配はありません。これの意味はなんでしょうか。キュルルは、自宅の場所がわかった場合、行くべきなのでしょうか。歓迎されざる家族ということはないのでしょうか。もしくはキュルルが、「自分はフレンズではなくヒトだ」と一緒にいるフレンズたちとの違うことを度々言及していますが、それに似た構図で、家族から「お前は家族ではなくフレンズだ」と言われて肩を落としてフレンズの元に帰ってくるという展開がありそうで悲しい。第1話において、キュルルが一人殻の中で放置されていたこと。およびフレンズは帽子に着いた髪の毛一本からでも生まれること。この2つから、キュルルは、スケッチブックに着いた毛髪等から生まれたフレンズである可能性はないだろうか。その場合、キュルルはスケッチブックの絵を描いた子とは別人である。そして、スケッチブックを描いた子の家に行っても良いことなど起きない。
グランドフィナーレ
まあ、とはいえ流石にラストはうまくキュルルが幸せになるようにハッピーエンドで落としてくれよ、うまく落として欲しい、うまく落としてください。悲しいエンディングは要らない。