ついに最終回。キュルルが走り、他のフレンズはキュルルを手分けして探すというところからスタート。何かここだけ見ると、キュルルは、危機事態に単独行動する迷惑者だな。
- 破られたスケッチブックの最終ページ
- 絶滅したリョコウバト
- キュルルを助けるフレンズ
- 結局、諸悪の根源はキュルル
- 飛んだ帽子の意味
- 最後まで貫徹された方式
- アムールトラのビースト
- サーバルとかばんちゃん
- キュルルのおうち探し
- イエイヌの金庫
- 結論
破られたスケッチブックの最終ページ
最終話の心象が非常に悪く、後に行くほど辛いことを書いて行くことになるので、まずは伏線回収をした貴重な描写について書く。破られたスケッチブックの最終ページ。これはスケッチブックというものは、最初から書いて行くものなので、最後のページということは、最後に書かれたページであるということ。この破られたページは、イエイヌが金庫から出した、サーバル、カラカル、キュルル、そしてイエイヌも左端にいるジャパリパーク入場門のスケッチだろう。イエイヌが金庫に保管していたことから、これは、キュルルがイエイヌにあげたものの可能性が高い。最後に入場門ということは、もう帰るのかもしれないが…となると、キュルルは、帰ろうとした直後に何かが発生したということか。もしくは、入場門のスケッチは、パークに来たという象徴的なものなので、イエイヌのいるおうち(多分宿泊施設)に泊まった際に描いたのかもしれない。この場合、イエイヌがそのスケッチを持っていることに違和感はない。となると、イエイヌとキュルルは面識あることになるが…。いずれにせよ、最終ページが破られていることの伏線回収にはなる。
絶滅したリョコウバト
自らの姿に似たセルリアンにさえ同じ種であることの愛着を感じるリョコウバト。こんな題材をワンポイントで消化してしまうのはもったいなさすぎる。身内を失うことの内面とかそういうことを描けたはずなのに。というより、ここで話を膨らませないのはあり得ない。じゃあなぜリョコウバトを使ったと言いたい。キジバトで良いじゃん。
キュルルを助けるフレンズ
いなくなったキュルルを手分けして探していたはずなのに、キュルルの前に登場する時は勢揃いって…バラバラに探しているのだから、三三五五集まるのが本当だろう。
結局、諸悪の根源はキュルル
スケッチブックに元々描かれていた絵ではなく、今回の旅でキュルルが描いた絵が原因で、大量のセルリアンが生まれたわけである。キュルルの行動でフレンズに迷惑をかける…つまり、ヒトが動物に迷惑をかけるということの風刺なのだろう…としか、このストーリーは好意的には解釈できない。主人公が害悪を生み、解決はできないというのはいくら何でも酷い展開だ。まあ、それをヒトの業といってしまうと終わるが、このアニメでそのようなことを提示する必要あるのかという。
飛んだ帽子の意味
意味は分からなかった。1期にはあった羽根をもう一枚入手し、両側に羽根を挿すということもなく、帽子も羽根も単なるかばんちゃんの模写で終わっているように思える。2期において帽子そのものが何を意味するのか、何を象徴するのかが分からなかった。1期は、帽子そのものがかばんちゃん誕生およびミライさんとの関係を示唆するものであった。そのようなことが2期からは見いだせなかった。
最後まで貫徹された方式
結局、最終話までも"前回ラストで生じたピンチは、次の回の冒頭に一瞬で解決する"という方式が貫かれた。何これ、何これ。稚拙としか言えないが、わざとやっているんだよね、これ。
アムールトラのビースト
キュルルが勝手にホテルに連れてきて、災難に巻き込み、犠牲になった…これは、これは…、ビーストも消滅させられてジャパリパーク的に平和だとでも言うのであろうか。ビースト哀れ。酷さ極まる展開。ヒトの傲慢さということか。いやちょっと酷すぎる。キュルルはアムールトラの犠牲についてどのように感じ考えているのかの描写が全くない。「みんなー、連れて来たよ」と戦いの場にアムールトラを連れて来た点から見て、キュルルはアムールトラを問題解決の単なる駒としか考えておらず、そこに命があることを理解していない。自分の利益のためには他を犠牲にすることに何のためらいもない冷徹なヒトだということを強調しているのか。こうなるともう「けものフレンズ2」はホラー作品としか言えない。p
サーバルとかばんちゃん
サーバルとかばんちゃんが2人で語り、カラカルがそろそろ行くわよと遠くから呼ぶシーン。これは、第6話で、カラカルとかばんさんが2人で語り、サーバルが置いて行くよと遠くから呼ぶシーンと対になるのだろうね。
キュルルのおうち探し
結局、探していたのはおうちではなく家族だったのか?よく分からない結末。このキュルルの旅がどれだけのフレンズの献身の上に成り立っているのか理解していないキュルルの行動である。これもヒトの傲慢を描いたということか。
イエイヌの金庫
第11話に思わせぶりに出て来たイエイヌが金庫らしきものを開けるシーン。ストーリーには全く関係なかった。別にミスリードはそれで良いが、本筋の構成が軽いので、さらに軽い話になってしまっている。必要だったのだろうか。
結論
2期で何をしようとしたのか、全く理解できなかった。ストーリー展開上の悪手を次々と繰り出すというのは、意図があるとしか思えないが、何故そのようなことをするのか。