アニメ成分補完計画

感想やまとめとは違う分析的なもの

【けものフレンズ2】比べるのは仕方ない


‪けものフレンズ2をポジティブに読み解こうとして来たけれど、ダメだった。これまでできるだけ避けていたが、‬「けものフレンズ2」と名乗る以上、「けものフレンズ」と比べられるのは仕方がないので比較してみる。(このエントリは、少しずつ書き足して行くつもり)

投げっぱなしの謎だらけ

「けものフレンズ2」つまり2期は本当に謎だらけだったんだ。なぜキュルルの絵からセルリアンが生まれるのか、ビーストとは何か、ビーストはアムールトラ以外にいないのか、海底火山はどうなるのか、海底火山がセルリアンに与える影響はなにか、戦艦型セルリアンはどうなるのか、宇宙ステーションは何だったのか、サーバルちゃんは世代交代するのにかばんちゃんは1世代なのか、そもそもなぜキュルルはオッドアイなんだ…とか挙げればきりがない…けど1つも答えが与えられなかった。これは1期も似たようなものであるが、投げっぱなしの謎の数が2期は圧倒的なのがいけない。いちいち伏線やフラグに見える描写をするから、回収を期待してしまう。

主人公の誕生描写

かばんちゃんとキュルルの誕生シーン。かばんちゃんは第1話冒頭で、さばんなちほーでサーバルちゃんから逃げるところから始まる。つまり、最初からそこにいるのが当然の話として登場する。だからかばんちゃんがどのように生まれたかは、視聴者はあまり気にしない。実際は生まれたばかりだったようだが、それが分かるのは、アライさんと出会って帽子の話を聞いた後である。このような、設定情報少なくしていきなり話が進む始め方は第1話の監督であるたつき監督の次作「ケムリクサ」でも同様である。しかしこれにより、過剰な深読みはしなくてよくなる。一方のキュルルは、謎施設から這い出るところから第1話が始まる。謎施設の描写が結構細かいため、誕生の秘密が物語中に描かれることを視聴者は期待する…が、全く描かれない。いきなりさばんなちほーを走り回る1期でさえ、かばんちゃんがどのように生まれたのかは後々描かれているのに、キュルルはどうしてカプセルに入っていたのかさえ描かれない。キュルルが入っていたもの以外に違う型のカプセルも何個か描かれていれば、なぜそこにキュルルがいたのか気になる視聴者が多かろうに。しかし理由は何も明かされない。このような脚本は驚異的である。

ラストの展開

フレンズみんなの力を合わせて強敵セルリアンを倒すという大筋は1期も2期も同じ。しかし、2期はその原因がキュルルであるという点がどうもいただけない。また、決定的にまずいのは、1期は、最終回で強敵を倒した後、さらに先を見据えて、他のヒトを探すという自分探しを継続し、海の向こうに向かって漕ぎ出すところで終わっていたのに対し、2期は、強敵を倒した後、元いたジャパリパークに引き上げてしまう点だ。これでは、かばんさんと別れるシーンを作る意味もない。同じパーク内で暮らすのでしょうということになる。1期ラストには冒険の未来があるが、2期ラストの先には日常しかない。アニメ3期は、これまでのような何かを探す旅ではなく、フレンズとの日常アニメとなるのだろうか。

自分探しをやめたことが話の整合性を崩す

それより何より、最後の最後にそれまでの冒険の目的を放棄しジャパリパークに戻ってしまったために、キュルルの旅が、そもそも何だったのかという問題が起きる。第11話の水中でのフウチョウとのやりとりで、そもそもおうち探しはどうでも良い発言をしていたが、最終回でも、同じこと言っている。これは、同行してくれたサーバルやカラカルに対して非常に失礼な発言であり、また、イエイヌ回での非情とも取れるキュルルの行動に多少なりとも正当性を待たせていた、「自分のおうちを探す」イコール「自分のアイデンティティを確立する」という旅の目的を全否定することになる。ならばイエイヌとサーバル、カラカル達と、もっと前から楽しくやれば良かったじゃないかということになる。キュルルは、些細なことでもふくれっ面していたし、論理的行動が取れないのは分かるが、他人を巻き込み過ぎている。リョコウバトに会ってからのセルリアン大量発生については、おとなしくイエイヌと暮らしていれば起きなかった事件であり、キュルルが悪いわけではないがトラブルメーカーではあるので、自覚した方が良い。これも含めて、ヒトだから動物を使役して良いという発想でキュルルは動いているとしか思えない点が、「けものフレンズ2」の怖いところである。

各話タイトルの付け方

これも1期は、第8話「ペパプライブ」第11話「セルリアン」以外は場所をタイトルにつけており、タイトルからはストーリーが推測できないようになっている。一方の2期は、タイトルにあまり統一感はない。それどころか特にラスト3話の「ちぇっくいん」「うみのごきげん」「ただいま」は、なんでこれが、各話のタイトルなの?というほどストーリーとのアンマッチが著しい。これ、わざとやっていなかったらストーリーテラーとして驚異的である。

ケムリクサ

たつき監督の新作「ケムリクサ」と同時期に放送したのも、またなんというか比べてくれというようなもので…というかそのつもりなのだろうが。結局、たつき監督は「ケムリクサ」でけものフレンズ1期の続編をやった感じになる。だから、たつき監督に「けものフレンズ」の2期を作って欲しいという欲求は無くなった。あれが監督の答えだなと分かるので。設定からストーリー進行から両者は似過ぎている。この場合、「ケムリクサ」は、登場人物やら舞台やらが全く異なるので不利ではあるが、逆に言えば束縛がないし、1期のノウハウはあるから、続編的なアニメを作る際は有利な点である。一方の2期側は、キャラから設定からコンテンツをそのまま引き継げる点では有利であった。ただし、監督・脚本が一新されているので、ここが勝負所だった。しかし見事にたつき監督にやられた。こんなに差を見せつけられる結果になったのは悲劇である。同じ2018年冬に持って来なければ、もう少し余裕を持ててできたのかもしれないが、そうなると、今回と同じ話を持って来た場合、完全に「ケムリクサ」の二番煎じとか言われてしまうから仕方がなかったのかもしれない。