プリキュアを読む

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【スタプリ】大人視点から見たハグプリとの比較と残念だった点


ハグプリのような分かりやすい、大人向けメッセージではなく、スタプリは、メインターゲットである子供向けに振ったストーリーと見せかけて、深いところで大人向けメッセージを入れ込んでおり、大人向けメッセージを直接的に描いたハグプリに負けないほどのメッセージを伴ったストーリーとなっていた。これはかなり難しいチャレンジであったはずで、素晴らしい結果を残したといえる。一方で、その回りくどい手法のため、いくつかの不完全燃焼感を残した。以下に、ハグプリとの比較で、スタプリの大人向けメッセージを見ていく。

大人の男の事情

スタプリの開始当初、多くの大人の男が各話のストーリー上、重要な役割を持って登場した。
遼じい、春吉、ひかる、えれな、まどかの父。ハグプリでは、母親に焦点が当たっていたが、スタプリでは、父親に焦点を当てるのかと期待させた。特に、ひかるの祖父と父という、一つ上の世代の親子関係まで扱った。プリキュアシリーズでここまで父親について描くのは特別なことである。更には、春吉と遼じいが恋のライバルであることまで描いていた。しかし、最終的にはこれらは各話レベルの話で、メインストーリーで父親の存在について描かれることはなかった。これは残念である。

自分は自分でいて良いということ

ハグプリでは、えみる兄が、女の子がギターを弾くのは良くない、女の子がヒーローになりたいというのはおかしい等干渉した話と、若宮アンリが、女性的な服装をしていた話に現れている。また、主人公野乃はなが、さあや、ほまれ、えみる、ルールーには何か特技があるのに自分には何もないと悩んでいたエピソードにも現れている。ともに、同世代との比較における自分らしさについてのエピソードである。
スタプリでは、これが親子関係に現れる。特にえれなが、いつも笑顔でいることの対比の中で、父母のために、弟妹のためにと、無意識で自己犠牲精神を発揮していたあたりのエピソードは、何話にもわたって丁寧に描かれた。また、まどかにおける「家」の問題も、父親の拘束からの脱却ということで、完全ではないものの思春期なりに独り立ちしようとする姿が描かれた。しかし、主人公の「自分らしさ」に絡むエピソードは、親子関係ではなく、ハグプリのはなと同様、他のプリキュアメンバーとの比較からの劣等感に悩むものであった。しかしそれが、単に自分だけトゥインクルイマジネーションが発動しないという小さな悩みであり、他のプリキュアたちの抱える問題対比では小さいものであった。これを残念とみるか、思春期らしい悩みも入れたことで、各プリキュアメンバーとのバランスをとったと考えるかは、人それぞれだろうが、個人的には残念に思った。

許すということ

ハグプリ、スタプリに限らず、基本的にプリキュアは、許す存在である。戦いにおいても、最終的には敵を許す。
ハグプリでは、当初敵であったルールーが、光堕ちしキュアアムールとなったことが最大の許しであった。
スタプリでは、この許しが、少し極端に描かれた。自分の星であるレインボー星の人々を凍結したアイワーンに対して、ユニが、未だレインボー星人が解放される前に許したのは、普通に考えてありえない。許した後、解凍してもらう等の思惑があればともかく、そこまで大人の判断ができる人間は少ない。そもそも凍結された人々を解凍したとしても生気を取り戻す保証はない。ここで制作側が描きたかった「許し」は、もう少し深いところにあると考える。スタプリにおける「許し」については、考えれば考えるほど深さを感じるものである。しかしこの辺りは、余りはっきりと描かれず、表面的には、ユニがアイワーンの中に自分と同じ悲しみを見たから許したという理由しか提示されなかったのは、残念であった。