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【水曜どうでしょう2019】水平へのこだわりはオチの予感


水曜どうでしょう新作、雪中に家を建てるという企画。4本の木を柱に見立てて床を作っていく段階で、床が水平になるよう水平器を使うのだが、番組中、しつこいくらい水平にこだわっている。これはまあ、オチを予測したネタなのだろう。

オチの予感1:木を土台の柱にしていること

そもそも、まだ生きている木を柱にして水平にこだわるが、木は成長するし、木は生物であるから、成長には差がある。つまり、どんなに土台作成時に水平にこだわっても、時間の経過とともに4本の木の成長差から、水平は破綻するはず。これは、少なくともディレクター陣は大工さんに協力を依頼している以上、知らないはずはない。製作時または完成時、もしくは放映時に、水平が破綻していることをネタにすることを予定してのものであろうから、そのオチを堪能したい。長期企画であるからこそできる仕込み。

オチの予感2:「水曜どうでしょう」の「水」、四隅の「4」はどうでしょう班の人数

「水平」の「水」は、「水曜どうでしょう」の「水」。また、柱となる木の数「4」は、まさに番組の柱となる「どうでしょう班」の人数。水平にこだわるが個性は異なる。その辺りを暗示したネタになるのだろう。

なぜ家を建てるのか

家は、安心するところ、戻るところ。これまで、「水曜どうでしょう」は、旅に出る番組であった。旅は、必ず終わりがあって、帰るものである。これまで、どうでしょうは、旅の途中で終わることは多々あるが、結局また、北海道からスタートする。北海道テレビがどうでしょうの家であるのだから。しかし、北海道テレビというのはどうでしょうだけの曲ではなく、少し漠然としたものである。旅が売りの番組が、自分たちで家を建てるというのは、旅番組の帰るべき家の象徴となるのである。

オチの正体

番組終了の意図の有無

旅番組が戻るべき家を使ったということは、最終回を予測させるが、そもそも終わっている番組である。また、今のような大御所になる前とはいえ、大泉洋氏は、一生どうでしょうをやると言っていた。その意味で、これ以上新作はないという意味の番組終了はないだろう。その観点からは、家を作っても番組終了は関係ない。

4人の成長の象徴

元々のどうでしょうという番組が、どうでしょう班の4人の人生に与えた影響の大きさを象徴するものを作りたかったのではないだろうか。土台作成時の軸となった4本の木は、どうでしょう班の4人。土台作成時に水平に異様にこだわったのは、どうでしょう製作時は、4人が同じであったということの象徴なのではないだろうか。その後、各自は別の仕事をしていき、それぞれが成長する。それが4本の木それぞれの成長として表現されるのだろう。これは、大泉洋氏が水平の確認の中で発言した「ここを水平とする」という一見唐突な言葉に現れている。 

なぜ地上ではなく木組みの床の上に家を建てたのかの現実的な答え

これ、まあ、撮影を始めたのが冬ということもあるが、現実的、商業的には、四隅の木から外して運搬が容易ということもある。つまり、各地でのイベント時等に、この家が目玉展示となりうる。それには移動が容易な方が良い。ならば土台を地中に作るより、空中に作った方が色々便利である。この辺りは、ビジネス用途も考えられているのだろう。

家を作ることの意味〜成長を見せること

イベントの目玉展示という現実的な意図もあるが、それだけであると、そもそもなぜ家を建てるという企画を思いついた理由としては弱い。まあ、どうでしょうの企画の意図を考えても意味がないとも言えるが、これから家を建てようという時に、あれほど水平にこだわった点に、理由があると考える。もちろん建築において水平であることの重要性は分かるが、あれほど強調する意味はないと考える。あれほどこだわったのであるから、建築時は恐らく水平の土台に家は立つのであろう。しかしその後、4本の木の成長に伴い、家は水平を保てなくなるのだろうし、それを楽しむのがこの企画なのだろう。どうでしょう班の4人もそれぞれが成長しているのだと、それを見てくれと。非常によく考えられた企画である…、が、これ、マンネリを感じたアーティストが侵されがちな典型的な考えに見えなくもない。大泉洋氏が出した新作三か条に見られた「新しい企画をすべし」も同じだが、これは、商業ベースで考えるとリスクを伴う。人気を伴うようになると演者側はマンネリを嫌うが、しかし、消費側は、マンネリを求めている可能性も高い。その辺りの塩梅を間違えると、人気者から一転バッシングが始まる。

家を作ることの意味〜ファンへの感謝

家を家族が集まる場所という理解をすると、4本の柱の上に立つ家は、どうでしょう班4人が大切にするファンの象徴なのかもしれない。4人が作る番組(=家)は、そこに集まってくれる(=視聴してくれる)ファンのためにあるのだということの象徴をこの家づくりは果たしているのだと理解できる。