藤村Dがシェフ大泉の料理に満足して「おいしかった」と残して撮影途中でテントへというシーンから始まる第七夜。
普通にスープ飲めちゃう
寝ながらもどうでしょうのことを考えている藤村Dは、さすがである。普通にスープが飲めるとは、どんなシチュエーションか分かるようでわからないが、大泉さんがいうように、
寝ててもまだね、ロケしてらっしゃる
という真面目さから来るのだろう。しかし、普通に飲めるというのは、どうでしょう的にはダメという設定なのだろうなぁ…最終的に番組的に美味しいけど。
テントで寝るだけの第七夜
ちょっと効率の良すぎな撮影である。明けた翌朝、建築スタートするが、木裏木表うんちくで終わり、クギの1つ、のこぎりの1引きもないまま第七夜は終わるのである。ちょっと1つのネタを伸ばしすぎである。
どうでしょうらしさの欠如の理由
なぜか2019年新作は、どうでしょうらしさに欠けるという印象だがその理由が分かった。それは、ダイナミックさがないことだ。シェフ大泉夏野菜スペシャルとやっていることは近い。畑開墾とどうでしょうハウス建築という長期ロケ企画(といってもロケ自体が長期間ではなくカレンダー的に長期というだけ)ということ、栽培した料理の調理と宿泊のための食事作りとともに料理作りの必然性がある。ということで、両企画は対比にはなっている。
必然性の破綻とダイナミックさの欠如
しかし、夏野菜スペシャルでは、日本一長い料理番組とのコンセプトの先にシェフ大泉が登場するのに対し、ハウス建築は、シェフ大泉の理由づけにハウス建築が利用されており、論理の入り繰りが生じている。また、開墾のダイナミックさに対し、ハウス建築自体に今ひとつ躍動的なシーンがないことから、漫才を見ているような感じになる。青空の下のシェフ大泉と夜間のタープ下でのシェフ大泉との違いでもあるが、とにかく動きが感じられない。そもそも、水曜どうでしょうは、あっち行ったりこっち行ったりするのが魅力なので、シェフ大泉はそもそも異質なもの。それを更に動きを取ってしまったから新作は何か違うもののように見えてしまう。まあ、若々しいダイナミックさは、youtubeでも見とけということかもしれない。昔と違うということね。
主演
エンディングロールにおける、「主演」には、もちろん「藤村忠寿」と書かれている。まあ、恒例のエンディングロールいじりであるが、ディレクターが「主演」であることもさることながら、基本的にいびきをかいて寝ていただけで主演となりうるのもすごい。
最後に肩書きなしのミスター
しゅえんの座が藤村Dに奪われたため、ミスターは、クレジットの最後に肩書きなしで大きく出て来る。まあ、こうなるのは当然である。