思えば、今でこそ教養バラエティ的なテイストの鉄腕ダッシュも、10年前くらいまではとんでも企画があった。
考える必要のない企画
鉄腕ダッシュには、鉄道と走って競争したり、3000歩シリーズ(3000歩でロンドンから帰国する、3000歩でローマにたどり着けるか、3000歩で箱根をどこまで移動できるかみたいなの)や、水鉄砲合戦等、視聴者が考える必要のない企画が多かった。一方、水曜どうでしょうは、そもそも観る側が考える必要のある企画がなかった。その割り切りは素晴らしかった。
考えさせる傾向への変化
なんというか、水曜どうでしょう2019年新作は、結局のところ、家を建てる工程を詳細に見せることと、美味しい料理を作る過程を、番組として見せようとしている。観る側に考えることを強いてくる企画となっている。以前なら知識系の話題は基本的に大泉氏のデタラメ教養であり、そこが笑いのポイントであったが、今回は大工豆知識みたいなのがポンポン飛び出しているが、別にそれは笑うようなものではない。制作側も、これだけでは笑えるバラエティの要素がないとは重々承知であるので、雪中の落とし穴に落とすなど、古典的というか、"もはやテレビでそれをやって笑えるのかということを、あえてやっている"というスタンスでやっている。しかし、これは完全に本来の水曜どうでしょうの笑いとは別物であり、かつネタ切れ感漂う、禁じ手の企画である。
常に鉄腕ダッシュが先行しているがハチャメチャさはどうでしょうが上回っていた
水曜どうでしょうは、地方局の革命的番組のように語られるが、鉄腕ダッシュは、水曜どうでしょうの1年前1995年に放送開始しており先行している。家づくりにおいても鉄腕ダッシュが先行している。ただし、水曜どうでしょうは、鉄腕ダッシュの上を常に行くハチャメチャさがあった。
どうでしょうが単なる家づくりを始めた
あったはずだ。しかし、遂にこの2019年新作において、水曜どうでしょうは単なる家づくりを見せるというだけのものを始めてしまった。ダッシュの家は、ダッシュ村の古民家再生や、ダッシュ島の舟屋作りと、単なる家づくりとは違う付加価値を持っていた。しかし、どうでしょうは、バーベキューをするための別荘作りである。まあ、考えること不要という点では、変に意味を持った家づくりより良いかとも思われるが、何で家なんか作るのだろうとも思える。
文字通り建設的になったどうでしょう
ウイリー事件とか安田さんリバースとか全く無意味で破壊的なアクシデントも多く生んだ水曜どうでしょうであるが、落とし穴を作ってそれをタレントに知らせ、その上で落ちるような企画をするところまで行ってしまった。家づくりまで始めて、というかそれがメインの企画となった2019年新作により、破壊的行動が売りだと思っていたどうでしょうが、文字通り建設的などうでしょうとなっていたことを、視聴者はまざまざと見せつけられることとなったのである。