アニメ成分補完計画

感想やまとめとは違う分析的なもの

【ハグプリ】赤ちゃん誕生を2度描いた意味


第27話「先生のパパ修行!こんにちは、あかちゃん!」で内富士先生の赤ちゃん誕生の顛末が描かれていたが、更に第35話「命の輝き!さあやはお医者さん?」でも、この話でのみ登場するキャラクターあやちゃんの弟の誕生におけるあやちゃんの葛藤を描いている。出産という同じテーマを第3クールで2度も取り上げている。これは何故なのだろうか。

子育てのスタートラインである出産

ハグプリは、子育てがメインテーマとなっており、子育てにおける最も大きなイベントの1つが赤ちゃんの誕生であることから、出産を描くこと自体は不自然ではない。しかし別な出産を扱ってまで2つのエピソードにしたのは何か意味があるはずである。それは明示的に描かれていないので分からないが、2つの出産にまつわるエピソードには、出産に対する視点の違いがある。
第27話では、初めて父親になる男の視点、第35話では、初めて兄弟ができる女の子の視点がそれである。メインテーマは子育てであって成長ではないので、視点は赤ちゃん自身ではなく、赤ちゃんを取り巻く人々に置かれる。しかしその視点も様々であるということを、ハグプリは2話を使って描いたのではなかろうか。特に第35話では第二子を身ごもった母親が第一子との関係も含めて子育てに対する考え方に悩むシーンもあり、"子育て"と一口に言っても、様々な視点を持つ人々が1人の子供の子育てに関与し、子育てを通じ自らも成長しているということを描いているのだろう。

子育て参加で自分も成長

それゆえ、第27話では内富士先生が父親になるということの自覚を、第35話ではあやちゃんが姉になることを理解することと、ママの子育てに対する考え方の変化をそれぞれ描いたということだろう。様々な立場から子育てに参加することで、それぞれが成長しているということを描いている。これを1つの出産話に収めることは、設定次第でできなくもないだろうが、1話30分の枠では時間的に難しいと思われるので、2話に分けかつ別な出産エピソードとして描いたのではないだろうか。

素直に赤ちゃん返りできない優等生

あやちゃんエピソードは、新生児の可愛さにはしゃぎ気味のはなに対して静かにするように注意することから始まる。しかもあやちゃんはこの時も含め、ほぼ常に絵本を持っている。また、自分の母親を客観的に見ることもしている。具体的な年齢描写はないけれど、あやちゃんは実年齢対比かなり精神年齢の進んだ子供であると思われる。ただしその頭の良さは、母親の愛情に対する反応にも出ていて、普通の子どもならストレートに赤ちゃん返りするところを自制心で抑えているような感じである。最終的にはギュッとしてと母親に求めることから心の平穏を得るが、ここに至るまでの葛藤は、兄弟のいないさあやの視点も使って丁寧に描写されている。

あやちゃんとは誰なのか

では、このあやちゃんとは誰なのだろうか。なぜ第4クールに入る直前にこのエピソードが出てきたのだろうか。まず、あやちゃんという名前に着目する。この回は明らかにさあや回なのであるが、この"さあや"という名前の中に"あやちゃん"の名前"あや"が埋め込まれている。また、この第35話は、オープニング前のアバンタイトルにおいて、さあやがテレビドラマの中で「おかあさん、ただいま、おかあさん」というセリフを言っている。これら全体を通して見ると、この回はさあやのお母さんというものの理解、つまり、兄弟のいない一人っ子のさあやが、あやちゃんを通して兄弟を持つことの気持ちを知り、子供の母親への愛情、自分の母親への愛情を再認識した回なのではないだろうか。
これは、さあやの当初の病院往訪の目的である次のドラマの役作りには直接関係ないかもしれないが、女優としての厚み、人間としての厚みを増したであろう。つまり、あやちゃんはさあやの演技の厚み、さらには人間的成長をさせるために登場したキャラクターなのである。わざわざ出産話を2度繰り返してまで描いたことから、この成長が、これからクライマックスへと向かうハグプリの1つのカギになるのではないだろうか。

あやちゃんは視聴者自身!

そしてもう1つ、あやちゃんはメインターゲット自身でもある。メインターゲットの方々がまさに兄弟姉妹が産まれる時に起きることを描いているのである。しかしこれはメインターゲット自身には気づかない、もしくは仮に気づいたとしたら恥ずかしい思いをする内容である。これはこれから姉兄になる子たちの親へのメッセージととらえるべきであろう。赤ちゃんだけでなく、姉兄にもハグしてあげてということである。ギュッとしてとあやちゃんは言うが、これはまさに"Hugっと!プリキュア"のメインテーマをストレートに出してきたセリフである。

ルールー光堕ち時との相似点

あやちゃんがさあやに母親への愛情を吐露した後、母親のところへ行くことになって一瞬立ち止まってしまうが、さあやが、あやちゃんの手を取り、母親のところへ連れて行き、あやちゃんが母親にギュッとしてもらうことをせがんで抱きしめてもらうシーン。これ第18話でルールーがはなママに全てを話すことを決心するも行動に移せなかった際に、はながルールーの手を取ってはなママのところへ連れて行き、はなママにギュッとされるシーンとシンクロしている。これははなの行動パターンと、さあやの行動パターンが、元々からなのかはなに感化されたからかはともかく似ていることを表している。これに限らずハグプリは、誰かが不安になったりした際に、手を握り一歩前に進むという描写が多い。1人では思い切れないことも自分のことを理解してくれる人となら踏み出せるということを何度も描いている。なぜこれほどしつこく描くのか、意味があるのだろうか。