アニメ成分補完計画

感想やまとめとは違う分析的なもの

【けものフレンズ2】ラッキービーストとビーストとポケモン


なぜ「けものフレンズ2」にはラッキービーストとビーストという全く異なるものに紛らわしい名前を付けているのだろうか。ラッキーとつくからには、ラッキービーストはよほど幸運に恵まれ幸せに生きているのだろう…と考えて、整理してみた。

ラッキービースト

なんか知らんがパークにおいてヒトをサポートするロボット的なもの。1期では、個性のないAI搭載量産型ロボットとしてしか描かれていなかった。しかし、2期では一転、多少は個性が出て来たが、この程度ならAIで可能である。よって、これまでの描かれ方としてはラッキービーストは、人工物である。

ビースト

サンドスターを浴びながら、フレンズになれなかった動物の姿。感情と知能を持っている様だが、描かれ方からはフレンズほどの感情と知能は持っていない。ビーストは明らかに生命体。

違いはラッキーの有無

ラッキーなビーストがラッキービーストと考えれば、ビーストにラッキーなのと、ラッキーでないのがいることになる。しかしラッキーなのでさえ、AI的なものであり、フレンズたちの生活を考えると、アンラッキー感が漂う。しかもいくつかのラッキービーストは、コア部分を取り出されて、かばんさんの家の引き出しの中に無造作に放り投げられている現状。自力ではうごけないので、かばんさんが手に着けなければ、暗い引き出しの中に転がったまま過ごさねばならない。これのどこがラッキーなのだろうか。アンラッキーなはずのビーストの方が、自由に生きているように見えるが。

ポケモンのモンスターボール

こう考えるとラッキービーストは可哀想に思えるが、過去にこれとにた設定の超人気アニメがあることに気づいた。「ポケットモンスター」だ。野にいるポケモンをモンスターボールに閉じ籠めバッグに入れる…この概念、ラッキービーストと同じ。ポケモンは人間の気まぐれな意思でモンスターボールの外に出られるか否かが決まる。人間が多くのモンスターボールを集めたら、それだけボールの外に出る確率は減る。ラッキービーストを哀れんでなどいられない。ポケモンは、あんなにメジャーなのに、個々のポケモンは中々自由になれない。外に出ても戦わされるだけだし。

妖怪ウォッチ

ポケモンのモンスターボールもそうだけれど、ラッキービーストは時計タイプなので、妖怪ウォッチの要素も見られる。

結局、ラッキービーストは何がラッキーなのか

分かりません。ラッキービーストだけなら想像も膨らんだが、ビーストという概念が出て来た段階で、なにか嫌な予感がし、かばんさんが無造作にラッキービーストのコア部分だけを引き出しに無造作に集めてるのを見て暗いことしか思いつかなくなってしまった。

2期では誰もラッキービーストを「ボス」と言わない

これもなにか意味あるのだろうけれど、1期では、ラッキービーストのことをフレンズは「ボス」と呼んでいた。しかし、2期では誰もそう呼ばない。これも何か怖い。まあ、2期では「ボス」という言葉が消え「ビースト」という言葉が生まれた。ここに関連を求めるのは間違っていないと思う。ジャパリパークの「ボス」といえる存在がラッキービーストから、ビーストに移ったと。2期では、サーバルさえかばんちゃんの記憶がほとんどなくなっている等、やたらとフレンズの記憶が頼りにならないことが描かれているので、アムールトラが最初はフレンズとして「ボス」の地位を得ていたのかもしれないが、結局、ビーストになってしまい、もはやジャパリパークの「ボス」とはいえなくなり、ボスという言葉自体が消えたとか、そんな感じなのではないだろうか。もしくは、ビーストの成れの果てがラッキービーストとか。