ジャパリパークにおけるフレンズとしての生き方とビーストとしての生き方はどちらがけものにとって良いかについてと、パークの問題について見ていき、その上でフレンズにとっての敵は誰なのかについて考える。
フレンズの衣食住
フレンズの日々の暮らしに必要なものの調達について考えてみる。
フレンズの衣
これは、着脱式であるが、本人たちは気づいていない。いずれにせよ、元の動物の毛皮等をベースに各フレンズの住むちほーでの生活に合わせた形になっていると思われる。
フレンズの食
基本の食料は、ジャパリまんである。1期はそれ以外見なかったが、2期では、補食的にジャパリスティック等があるようだ。
フレンズの住
これは不明。ヒトが残していった建物に住むフレンズもいれば、元々の野生時代のままの環境のフレンズもいる模様。
フレンズという生き方
「けものフレンズ」は優しい世界と言われるが、ここでの優しい世界というのは、人によってコントロールされた世界ということ。フレンズは、人がジャパリパークを楽しむために維持された環境下で生存しているにすぎない。人がいなくなっても辛うじて生きていられるのはラッキービーストたちが環境を維持してくれているから。現に生存に一番大切な食料は、ラッキービーストたちによる生産がなければ、フレンズは生存できない、もしくは野生解放して本来の食性に戻るしかなくなる。しかしそれはもはや優しい世界ではない。フレンズという生き方は、野生という本来その生物に与えられた生き方から離れ、衣食住が保証された世界での生き方であり、人工的な条件下でしか成立しない生き方なのだ。その上での"優しい世界"であることは、「けものフレンズ」1期2期を観る際に気にしておくべきだろう。
ビーストという生き方
確認されているビーストは、アムールトラのビーストのみ。
ビーストとは、人間の側から見たイメージではないか。1頭で行動しているが、トラはそもそも集団で暮らすライオンと違い1頭で行動するので、フレンズの中で楽しく暮らしていなくとも、本来の野生の時と環境は変わらないと言える。故にビーストは可哀想とは一概に言えない。ただし、野生の本能を維持しているので、人にとっては不都合な生き物である。故にビーストという否定的な名前が付けられたのではないか。しかも、このビースト、1期には登場していない。1期から一定の時間が経過していると思われる2期で出てきているということは、1期の時代にはまだ人の制御により、ビーストが生まれないもしくは生まれたとしてもその後を何らかの対応をしていたということだろう。人の不在が長期化したために、ビーストが生まれるよしくは生まれたビーストがそのまま放置される結果となり、フレンズたちにも認識されたということだろう。ビーストは、人による犠牲者と言える。
ビーストは人からの解放者説
アムールトラは、実はフレンズたちにとっては、解放者だと言うこともできるかもしれない。ジャパリまんなど食べていないで本来の野生を取り戻せと。少なくとも、ラッキービーストが故障するシーンは2期で描かれており、また、かばんさんの腕や引き出しにラッキービーストの成れの果てのようなものが複数確認できたことから、ジャパリパークの維持は、すぐにではないかもしれないがなだらかに困難になりつつあると思われる。この維持能力の減退が一定程度を超えたら、そのとき、何が起こるか。これについては、フレンズの誰も考えていないように思える。フレンズたちは優しい世界に浸りきっているからだ。それは仕方がない。人にそうなるようにされているから。だからこそ、人がいなくなってジャパリパークのメンテナンスに支障をきたし始めた今、野生に戻るという提示をするビーストにも存在価値があるのである。
かばんさんの存在意義と決意
昔のかばんちゃんも、優しい世界に浸ったフレンズの一人だった。しかし、2期第6話のかばんさんはそうではなかった。ラッキービーストをコレクションする等、一見残虐な行為に見えるが、ラッキービーストのコアは、ボディが故障しても、それ単体で稼働することが分かっているので、その散逸を防ぐために収集しているとも取れるし、かばんさんは何らかの研究をしているのは事実であり、それがジャパリパークを維持すべき人が存在しないからこその行動とも言える。そもそもかばんちゃんは、1期ラストで自分以外のヒトを探すためにジャパリパークを出たはずなのに、2期でジャパリパークにいることの説明がされていない。しかし、海を渡ったがヒトはいなかった。ジャパリパークは、人によって作られ、人によって捨てられたパークなのだということを、かばんちゃんは理解したのであろう。だからこそ、ヒトのフレンズである自分が、ヒトとしての責任を果たそうとして行動することを決意した。それがフレンズたちに貢献しようとジャパリパークに戻り研究をするということだったのだろう。ジャパリパークの長と自称し知能の高いことも分かっている博士と助手と組んだこともその目的と決意をうかがわせる。
飼いならされた生き方への疑問
けもフレ2には、イルカ、アシカ、アフリカオオコノハズク、ワシミミズク、イエイヌ等の人に飼いならされた動物の末路的な描写がある。これとビーストとどちらが幸せかと言う問題が「けものフレンズ2」では、突きつけられていると考えることもできる。野生を失って人の都合の良いように暮らすことが、けものとして真の幸せか、しかも衣食住を保証してからるはずの頼みの綱の人は、無責任にもいなくなってしまったこのジャパリパークにおいて、このままフレンズでいることを選ぶべきなのか、フレンズは突きつけられているのだと思われる。だから、2期はギスギスしていると言われるのかもしれない。フレンズがフレンズでいることに、意識してなのか無意識かは別として、ストレスを感じ始めているのではないかと。
夢から覚めるとき
かばんさんの家の引き出しのラッキービーストのコアが増えるということは、稼働できるラッキービーストが減っていくということ。このまま引き出しの中のコアが増え続けると、いずれジャパリパークの維持はできなくなる。つまり、施設の維持、特にフレンズの生命維持に必須のジャパリまんの製造ができなくなる。そのとき、フレンズはどうするのだろうか。
フレンズの本当の敵
フレンズにとって、本当の敵は、自らの利便性のために、野生の体と習性で生きる動物たちにサンドスターを浴びせてフレンズにし、人工物であるジャパリまんを食べてしか生きられない体にしたヒトである。このことについて、「けものフレンズ」では明確に言及されていないため、「優しい世界」と呼ばれることもあるが、現実は、意思の確認なく無理やりフレンズ化させられた上に、ヒトに逃げられ、近い将来の生活環境の維持に不安のある「優しくない世界」なのである。